2026年4月6日月曜日

わが生の形而上学化





やはりこのブログとは相性が悪いようである

前回の記事からすでに半年以上が経っている

普段、この場は意識から消えているからだろう

本日、なぜかここを思い出したので、心に浮かんできたことを書き残しておきたい



2007年にフランス生活を初めたが、かなり早い時期からではなかったかと思う

例えば、街を歩き回った後、あるいはクールが終わった後などにカフェに落ち着いてそれまでを振り返る

この時間、何と表現すればよいのかよく分からないが、それまでに感じたことのない満ち足りた気分の中にいた

明確な何かをやり遂げたわけでもないのに訪れる充足感のようなもの

ある対象の全体を視野に入れ直して、それを眺め、思いを巡らしているという感覚がもたらすもの

それが充足感のもとにあり、言葉を換えれば、幸福と言われるもの(の一側面)につながっているのかもしれない

これをさらに広げれば、ものことの全体を考えるという点で形而上学の営みにも通じている

わたしは「科学の形而上学化」(MOS)ということを唱えている

部分しか解析しない科学だが、そこに留まっていては駄目で、そこから全体に至る思索を展開しなければならない

そこで哲学・形而上学の蓄積を生かすことになる

これは知の在り方としても一般化できると考えている

つまり、科学知(事実)は大切にしながらもそこから出て、哲学的考察(価値、意味、規範など)に向かわなければ真の知には至らない

前段に留まっているのが現代文明で、MOSによってそこを突き抜けなければならないという主張でもある

上の観察でも明らかなように、そのことにより充足感や幸福感のようなものも手に入れることができるのである

これ以上のことがあるだろうか

このような視点から2007年以降の営みを総括するとすれば、それは自らの生を形而上学化していたと言えそうである

10年以上のフランス生活の中でそれは習慣になり、これからどこにいようとも継続されることになるはずである

これは素晴らしいことと言えるのではないだろうか

そんな気がしてきた