医学・病気












2008.7.22 (ma)

George Engel, The need for a new medical model: A challenge for biomedicine. Science 196: 129-136, 1977 


胚(embryon)の問題について読む

L'embryon: formation et animation. Antiquité grecque et latine, traditions hèbraïque, chrétienne et islamique (Vrin, 2008)

 2005年のコレージュ・ド・フランスでのコロック

● L'embryon et son âme dans les sources grecques (6 s. av JC-5e s. ap JC) (2007)

 体ができる前に精神は既に存在するとする:プラトン、キリスト教

 なぜ精神は体の中に入るのか、そしていつ?

  ―それは受精の時?胎児のある時期?出生の時?

 精神を「体の形」とすれば、両者は不可分になり、精神と身体の形成は密接に関連してくる

● L'Embryon humain à travers l'histoire (Infolio, 2007)

 スイスのフリブール大学でのコロック

 胎児の子宮内でのイメージを古代から現代まで


テュロスのポリピュリオス(234-305)

À Gauros の中で、胎児は植物の根に育てられるように臍帯を通して栄養を取っているので、植物の精神しか持たないとしている

生まれる時に精神を外から受け取るため、その時に初めて動き、考え、感じることができるようになる

そして意識はいつ生まれるのか、それによってこの説の審議が明らかになる


――2022.2.11 (ve)――



2008.7.14 (lu)

イヴァン・イリイチという工業化社会を批判したカトリックの司祭から哲学者になった人物がいる

批判の対象には医学も入っている

例えば、以下の本もその一つである


医学が寿命延長に果たした役割などは幻想で、環境の整備(公衆衛生)の方が重要であった

寿命延長にはコストのかからない方法が重要で、特別な治療法開発には多大の費用が掛かる

1971年だけを見ても医療過誤の訴えが15,000件もあり、入院中におかしくなった患者は7%になるという

彼は医原病(iatrogenesis)の概念を広げて、3つに分類している

1)本来の臨床的な医原病(医療そのものが原因となる病気)で、これこそが病原体だという

2)社会的な医原病で、医療化の行き過ぎのこと

これは、本来医療とは関わりのない社会生活での問題までもが病気とされ、医療の対象となること

3)文化的医原病で、人間が伝統的に持っている死や痛みや病と向き合う力を破壊するもの

これらは医療システムに組み込まれており、不可逆的である

このように、工業化社会は生に質を低下させているとしている



▣ 半世紀の間に状況はさらに悪化しているようにも見える


――2022.2.6 (di)――



2008.7.13 (di)

18世紀スコットランドにジョン・グレゴリー(1724–1773)という医師がいた

啓蒙主義(進歩、改良)を信奉し、医学の実践について倫理面からの分析を行い、当時市場原理に基づく考え方で行われていた医療の改良に努めたようだ

その指導原理となるのは2つの哲学

フランシス・ベーコン(1561-1626)流の科学的な視点とデイヴィッド・ヒューム(1711-1776)の道徳、特に共感を医療の現場に持ち込むことであった

ベーコン流の科学とは、観察、経験、実験に基づくもので、科学の基礎となっているもの

ヒュームによる共感とは、人が苦しんでいることを察すると、その観念が相手の苦痛と同じものを感じるようになるもの

この共感は女性的なものと捉えていたようだが、現在のケア理論の先駆けになっているようだ

ヒュームとはアバディーン哲学協会で実際に会っているらしい

エジンバラ大学での講義に基づいていろいろな著作を発表している

● Observations on the Duties and Offices of a Physician and on the Method of Prosecuting Enquiries in Philosophy(1770)

● Lectures on the Duties and Qualifications of a Physician「医師の義務と視覚に関する講義(1772)

これらは医療倫理について英語で書かれた最初のものとされている


――2022.2.5 (sa)――



2008.7.10 (je)

プラトンは、体を治すためには魂について何らかのことを知っていなければならず、全体の性質についても同様であると言った。この知識がないと治療はできないということである。これらの知は、存在そのものの統一性に関係している。もし、全体が我々の社会を含むことになれば、医学という学問は真に普遍的な科学になる。

ヘラクレイトスは、隠れた調和は明らかにされた調和よりも常に強大であると言った。体液の調和の取れたバランス。我々は隠れた調和を取り戻さなければならない。


▣ とにかく、この時期のメモは量が多い。フランスに渡って時間が経っていないので、高揚した気分の中にあったのではないだろうか。当時は、医学に関連することを一番考えていたようである。


――2022.2.4 (ve)―― 



2008.7.5 (sa)

古代ギリシアのアスクレピオス学派は死生観に特徴がある。彼らは、死を忌み嫌い、死を近づけなかった。重病人は入院させなかった。同時に、出生も医療の対象とはしていなかった。すなわち、生と死を除外して、中間期だけを対象として、加療するのではなく、患者が生を楽しみ、文化的に充実することが医療の目的と考えていた。その施設がアスクレペイオンで、コス島やトルコのベルガモンなどに遺跡がある。そこにはショッピングモールや大劇場(3,500人程度収容)、さらに大図書館などがあり、文化・学問の府として捉えられていたことが分かる。ヒポクラテスやガレノスはある時期働いていた。


――2022.1.28 (ve)―― 



2008.7.2 (me)

● 午後から降り出した雨音を聴きながら・・・なかなかよい。

雨が落ちる音、地面に当たる音、木々に触れる音、それらが混じり合って生まれる音。

それらの音はなぜ心地よいのだろうか。太古の人が天の恵みと感じ、自然と共にあることを悦び、天を仰いだ記憶が残っているからだろうか。

● Weizsäcker の Der Arzt und der KrankeWarum wird man krank? などを注文

● これから注意すべき点

何かアイディアが浮かんだ時には、後で当たりましょうとなりやすいが、忘れてしまうので、その時にそのアイディアをメモするか、それを少しエラボレイトして小さな塊にしておくこと。「その時」は「1回限り」であることを肝に銘じること。

● therapy という言葉は、奉仕(service)を意味するギリシア語の therapeia に由来する。

科学としての治療法を提供するだけでは不十分で、敬意を持って患者との関係を構築・維持しながら、患者に奉仕するという精神がなければならないことになる。


2008.7.1 (ma) @IP

● Viktor von Weizsäcker (1886–1957): psychosomatic medicine, Gestaltkreis, medical anthropology

患者を時間軸、これまでの経験の中に置いて考えた。ドイツの医士学人類学の影響を受けていて、アングロサクソンでは見られなかったもの。医学における全体論の概念を確立した。

「病気は人間の生命の本質的なものであり、生きるということは病むということである」

「病気とは、『被造物のため息』であり、一つひとつの生命の真理を解き明かす鍵であり、そこで人が生きる使命を見出す転機に他ならない」

「宗教的生命経験」、「超越的意義を持つ病気」という視点から「人間学的医学」へ

 ⇒「医者と患者との人格的交わりにより、心と体が一体となった人間の病の歴史を究明する」

日本語にも訳されているので、読んでいくことにしたい。

● 石井誠士『癒しの原理――ホモ・クーランスの哲学』(1995)(書評


――2022.1.19 (me)―― 



2008.6.26 (je)

病気に罹るということが旅に出ることと重なると思い当たる。

そこから、英語の "travel" が古代の刑罰用の道具トリパリウム(Tripalium)に由来することを知ることになった。

刑罰を与える、拷問する=トリパリアーレ(tripaliare

中世では、刑罰として旅を課したようだ。

さらに、フランス語の仕事 "travail" の語源も、諸説あるようだが、トリパリウムだと言われている。

刑罰のような肉体的・精神的苦痛を伴うのが労働ということになる。


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@IP

和田東郭(1744-1803)という江戸の医者についての論文を見る。

Words of Tohkaku Wada: medical heritage in Japan. Journal of Medical Ethics, 2001


――2022.1.15 (sa)―― 



2008.6.25 (me)

ジョルジュ・カンギレムに次の言葉がある。

Tout ce qui touche la vie est qualitative.(人生に関わる全てのことは量的なものである)

自分にも「人生は数字ではない」というフォルミュールがある。

しかし、今の世はすべてとは言わないまでも数で判断されることが多くなっている。

それは学問、医療、教育の世界にも及んでいるのではないだろうか。 

それはある意味で、思考を止めた世界でもある。

専門家、技術者で溢れた世界とも言えるだろう。

本質的な哲学を探究する必要があるだろう。

"médecin-philosophe" を目指さなければならないのだろう。


2008.6.23 (lu)

病院は健康を求める人、生存が見込まれる人の場所で、死に至ることが確実になった人は敗北者となる場所である。人間はすべて死に向かうというのに、である。死をどのように捉えるのかを考える必要があるだろう。新しい哲学が求められるだろう。それを考えた上で、生の現場に戻ってくること。いずれにせよ、医療の現場には哲学すべき多くのテーマに溢れているはずである。そこに向かう余裕のある人がどれだけいるのかは分からないが、何も手を付けないのは勿体ないことである。

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Robbin's Pathology, etiology or cause

紀元前2,500年頃にアルカディア人にとって、病気になるということは自分自身が罪を犯すなどの過ちを犯したか、外部原因(寒さ、悪臭、悪霊、あるいは神など)の成せる業であった。現代の言葉でいえば、病因には二つのものがあり、一つは内的あるいは遺伝的なもの、もう一つは後天的な要因(感染、栄養、物理化学的影響など)である。一つの病気に一つの病因という概念(感染症や単一遺伝子病の研究による)は最早十分ではない。

1,000は優に超える本の中で、哲学について触れられているのは僅か半ページほどである。つまり、病理学は病気とは何かを扱う学問ではなく、個別の病気がどういうものであるのかを扱う非常に技術的な学問であることが分かる。

――2022.1.14 (ve)―― 


2008.6.21 (sa)

Sontag: 結核はロマンチックな病気だったが、癌にはそれがない。

パンデミックやエピデミックには仲間がいるが、癌は自分一人だけだ。Why me?という疑問が湧いてくる。

――2022.1.11 (ma)―― 


2008.6.8 (di)

1)ヒトの病気はマウスモデルで解決されるのか

例えば、無菌状態のマウスを使った実験は、多くの病原体に溢れた世界に生きる人間とどのような関係があるのか

あるいは、純系マウスを使った実験は、雑種である人間の状態を反映しているのか

マウスのシステムは科学のための科学のためにはよいだろうが、それで人間の問題は解決できるのか

究極の目的は何なのか――真理といわれるものの発見なのか、人間の病気を治すことなのか

2)デュエム=クワイン・テーゼ

ピエール・デュエム(1861-1916)とウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン(1908-2000)によるもので、科学仮説は単独では検証できず、いくつかの補助的な仮説を一緒(a bundle of hypotheses)に考慮に入れなければならないとする。認識論的全体論。

デュエムは物理学の領域で考えていたが、クワインはすべての知識に広げた。科学における不決定性を唱えた。

3)免疫学的健康の定義

大量のサンプルを集めてヒトにおける免疫学的な健康を定義しようという動きがあるようだ。多数のサンプルについて、大量のパラメータを調べるというだけでも相当のエネルギーが必要になる。しかし、そこから健康の定義が現れることが期待されるだろうか。これまで見てきたように、正常と病理の間の境界は曖昧で、二つの状態は繋がっていると考えられている。そのような状態でそれぞれのパラメータについて、正常と病理の線を引かなければならない。

4)進化生物学、進化医学による病気の説明は、いつも後付けの印象が強く、過度の適応主義との批判もあるようだ。

5)科学者はそれぞれの病気がどのようなメカニズムで発生するのかを研究し、治療法の開発を目指す。しかし、解決された病気は僅かであり、依然多くの病気は未解決のまま我々の前にある。哲学者は、そもそもなぜ病気があるのかという問いに向き合うことになるのだろうか。

――2022.1.6 (je)―― 


2008.5.7 (me)

Canguilhem, NP 第2章 オーギュストコント(1798-1857)と「ブルセの原理」

コントは生理的現象と病理的現象の同一性を唱えるブルセの原理を認める。

それは生物学的現象だけではなく、心理学的、社会学的現象に及ぶ普遍的な応用が可能なものと見ていた。

この原理は1828年のブルセ(1772–1838)の『興奮と狂気について』(De l'irritation et de la folie)で示されたが、さらに遡ればビシャ(1771-1802)、さらにその前のピネル(1745-1826)に至る考え方である。それは、すべての病気は症状でしかなく、臓器や組織の病変なしに重要な機能の変調は存在し得ないという指摘で、ブルセは正常の状態の上か下への変化(過多か欠乏)が病気の本態だとした。


*日本人による疾病論にはどのようなものがあるのか。少し調べて見ても面白いのではないか。最初の学生時代に触れた『医学概論』はあるが、よく理解したとは言えない状態のままである。

――2021.12.31 (ve)―― 


2008.5.5 (lu)

日本にいた時の疑問は「なぜ病気になるのか」だったが、こちらに来てからは「病気とは何か」に変わってきた。これは根本的な視点の変化だったのではないか。哲学的な視点が前面に出てきた証左かもしれない。哲学を視点の変容と捉えるアドーの見方が反映されているようにも見える。アドー氏からは、難解な言葉や概念を振り回しながら奇を衒うものを哲学だと思っていたわたしに、目の前にあるものを新鮮な目で見ることから始める哲学があることを教えられた。目の前の霧が晴れた思いであった。

病気になるとアクティブな社会生活から一時的にでも除外される。過去の歴史を見れば、例えばハンセン病のように永遠に社会から排除されることになった例もある。スーザン・ソンタグの結核やAIDSの解析にも見られるように、我々は病気を恥や不名誉なこととして観るところがある。その根はどこにあるのだろうか。

――2021.12.29 (me)―― 


2008.4.27 (di) @Eden

Aux risques de guérir (F.B. Michel) を読む

健康と病気は2つの異なる状態ではなく、生きる存在の2つの共通の状態である、という言葉を見つける。

ニーチェも、もう一つの側を探るためにその線を越える危険を冒すことができる稜線に近い2つの状況である、と言っているようだ。さらに、我々は常に絶対的に正常であることがないのは正常なことで、異常なのは病気がない生であるとも。

ジャン・グルニエとその弟子であるカミュは、病の中に旅を見ていた。病気の人には、旅に出て成長して帰ってくるように祈り、送り出さなければならないのかもしれない。

病気は根源的に考えなければならない問題だろう。病の中に、人間を、人生を、世界を見ながら考えていきたいものだ。

患者を意味する"patient"は、ラテン語の"patior"(je souffre=私は苦しんでいる)から来ている。"patient"は同時に、忍耐強いという意味も持っている。病を持つということには忍耐が求められるのである。

ルネ・ラエンネック(ネッカー病院で働く)は、言葉遣い、患者に接する手、態度など、その人間から発するすべてが治療効果を持っているというホーリスティックな見方をしていた。

ヒポクラテスも患者の全体を観る姿勢があるかどうかで藪医者を区別していたという。

医者が患者を診ることなく触ることなく診断して薬を出し治すことができる医療が出現するだろうか。

ガダマーによれば、"Ganzheit"(=全体性、totalité, wholeness)という言葉は19世紀には使われていなかったという。この言葉は、専門化、細分化が進行したのに伴い、それに対抗するものとして現れたという。

――2021.12.28 (ma)―― 


2008.4.12 (sa)

病気がなくならないのだとすれば、そこで諦めるのではなく、個々の病気を離れて病気というものについて考えてはどうだろうか

なくならない病気に意味を持たせるのである

このような問いに向き合った人はいるはずなので、これから注目していきたい

――2021.12.24 (ve)―― 


2008.4.10 (je) @Relais odéon

ガイヨン博士と論文についてディスカッション

フランスに来て半年が過ぎているが、当初の前が全く見えない状態から少し開けてきたように感じる

M1はカンギレムを考えることになった

――2021.12.24 (ve)―― 


2008.4.9 (me) @IHPST

リヨンのエロディー・ジルー博士とのランデブーがあった。今振り返ると、次のようになるだろうか。

これからのテーマを模索している時で、まず病気や健康について話した。わたしの話を聞き終わった後、わたしの興味は治癒であると診断してくれた。一気に目の前の霧が晴れ、明るくなったのを感じた。人に会って話を聞くことの大切さを感じたランデブーでもあった。フランスに渡った当初とは比較にならないほど考えが広がると同時に、テーマも固まってきたと感じていた。

その日のメモには以下のような言葉が残っていた。

「考える際、現状からスタートしないこと。現状をどう変えるのかという問いではなく、問題の本質はどこにあるのかを考える。その応用は自ずからついてくる。最初から根源に向かうこと。」 

「医学の進歩とされるものに目を奪われ、そこに隠れている無邪気な楽観論に踊らされ、医学や科学にこの身を預ける生き方を我々は選んでしまったように見える。この精神状態は、健康に関する新製品を求めたり、政治にすべてを任せる状態にも通じる。受け身に過ぎるのだろう。さらに、本人あるいは身近な人が罹った病気はどのようなものなのかを探ることも重要だが、病気とは何なのか、病気から回復するとは何を言うのかを問うこと――哲学的な営みになる――もさらに重要になるのではないだろうか。医学教育が技術を中心に行われていることを考えると、この営みは個人に任されていることになる。」

「治らない病気がなぜあるのか。生物はなぜ死を運命づけられているのか。ある病気が治らない状態とはどのようなものなのか、どのようなメカニズムでヒトは死ぬようになっているのかということは科学が明らかにできるだろう。ただ、 なぜそのように出来上がっているのかについては明らかにできないだろう。問題はそのような状況で我々はどう生きるのかということになる。我々は病と共にある、病は人生の一部であるという基本認識が重要になるのだろう。つまり、避けるべきものとして見るのではなく、人生に起こる他のすべてのことと同じように考える必要があるということ。その過程で真の認識に達し、変わるという方向に向かうことを促す力を得ること。」

▣ このような問いについては、哲学や文学が答えを用意することもあるだろう。今日偶然にも、トルストイの『人生論』を読んでいたら、次のような一節に出会った。

「人が死んでゆくのは、この世では彼の真の生活の幸福はもはや増すことができなくなったからで、決して肺を患ったとか、癌ができたとか、ピストルで撃たれたとか、爆弾を投げつけられたからということではない。」(p. 203、岩波) 

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カンギレムの『正常と病理』(NP)、第4章「病気、治癒、健康」

 ● 病気が始まるダイナミックな極性の中で考える

 ● 生物学的規範について言えば、参照しなければならないのは常に個人である

 ● クルト・ゴールドシュタインは(ロージエ同様)、統計学的に得た平均によって我々の前にいる個人が健康かどうかを決めることはできないことを肯定

 ● ヘンリー・シゲリストは、生物学的な正常を考える際には個人の相対性を重視するよう主張

 もし、正常が集団の制約という事実の硬直性を持たず、個人の状況との関連で変容する規範の柔軟性があれば、正常と病理の境界が明瞭でなくなるのは明らかである

 正常と病理の境界は多数の個人を検討する場合には不明瞭だが、一人の同一人物を継続的に検討すれば完全に明白になる

 正常であるものは、別の状況では病理になり得る

 判定するのは個人なのである

――2021.12.20 (lu), 24 (ve)―― 


2008.4.6 (di)

医を考えることに絡めて、理解するということ

自分を変えることに結びつかなければ、理解したことにならない

 s'informer では駄目で、se former にならなければならない

受け身では駄目で、体の動きが伴っていなければ理解したことにならないのではないか

知識を切り取って入れていても理解には至らない

促しがなければ真の理解にはならない

そのことを感じ取れる人間が生きていなければならないのだろう

日本にそういう人はいるのだろうか

真に独立した精神を持ち、生きている人が

――2021.12.15 (me)――


2008.4.5 (sa)

医療の側: 病人を見ていたところから病気を見る目に変化した。

重要なことは病人の方も消費者の目に変わっている。病院が商品の交換場所になっている。そこでは癒されることはあるのだろうか。

本来あるべき姿が失われ、それが加速しているように見えるが、それでよいのだろうか。

この問題には医療の中では解決できない哲学的な課題が含まれている。

医学哲学者が思索を深めなければならない領域であり、その時期に来ている。

病気の概念の変遷を追ってみることにより、ヒントが得られないか。


2008.4.4 (ve)

老化についてのメモ

1)プログラムされている。古代の厳しい環境では、適当な時期に死ぬ人間が選択されたと考えるが、これだけで説明できるのか。

2)そこから見れば、永遠の生は不自然なことになる。


――2021.12.9 (je)――


2008.3.26 (me), 3.30 (di)

フーコーの『狂気の歴史』(1961)

 Lépreux の隔離から精神病患者の隔離へ

 病気を悪として体から取り除くという考え方から、病人を社会から取り除くという方向に向かったのか


病気の見方の変遷、病院の歴史を調べる必要あり

フランスでもまともになったのは第2次大戦以降だという

医学教育においては、徴候と症状は覚えるものとしてそこにある

徴候と症状から病気を観るようになった背景までは教えない


機械論(メカニズム)と全体論(ホーリズム)の対立は自然科学に限らず、至るところに見られる

これは人間が採り得る2つの大きな考え方で、おそらくなくならないものではないのか

そうだとすれば、両者のバランスが問題になるだろう

今は機械論的な思考が圧倒的な力を持っている

医学、医療もその影響を受けている

患者の方も同様の見方しかできなくなっているように見える

その状況で、本当に癒されることはあるのだろうか

おそらくないのではないか

そのためには、病気というものについて自らが考えを巡らさなければならないだろう


人間の好奇心に限りはない

アリストテレスも『形而上学』の冒頭でこのことを指摘している

好奇心がなくなった時は人間であることを止める時だろう

進歩

これを支えているのも好奇の心ではないか

そして、その心は人間の内なるエネルギー――それは性的ドライブと結び付いているように見えるのだが――と深く関わり合っているように見える

したがって、そのような人間が存在する限り、進歩を求めるだろう

科学や技術はそれ自体では止めることができないだろう

それができるのは哲学あるいは科学の外に在るものだ

しかし現代においては、他の領域にも科学的、機械論的思考が浸透しているように見える

科学とは、技術とは、病気とは何なのか

このような根源的な問いが重要になる


――2021.12.7 (ma)――


2008.3.23 (di)

病気の捉え方として、体液の(混ざり具合の)アンバランスというヒポクラテス、ガレノスに始まる見方と、病気という明確な範疇が現れるという見方(存在論的)の対立が見られる。

後者は、病気というもの、あるいは病気を引き起こす原因(病原体など)を想定している。

● パラケルスス(1493-1541)は後者の原型に当たる人で、体液説に反対。病気を一つの範疇として見て、その原因物質を特定することにより識別できるとした。

それは同時に、病気を局所あるいは臓器の変化として捉えることを意味し、現代の病理学にも繋がるものであった。

● トマス・シデナム(1624–1689)は、特定の病気に対して特異的な治療が可能になると考えた。

病因論的な見方が導入された。原因に基づく疾病分類学(nosology)

● ルドルフ・フィルヒョウ(1821-1902)

寄生虫病には存在論的な見方がよく当て嵌まる。

病める存在(ens morbi)と病の原因(causa morbi

病気を特定の細胞における特異的な病理学的変化として捉えた。

● フランソワ・ボアシエ・ド・ソヴァージュ(1706-1767)

1734年、モンペリエの生理学と病理学の教授となる

● フィリップ・ピネル(1745-1826)

フランソワ・ブルセ(1772-1826)


――2021.12.5 (di)――


2008.3.16 (di) @rest grec

François Dagognetを読む

ヒポクラテス: ~紀元前4世紀

オーギュスト・コントフランソワ・ブルセ: ~19世紀

19世紀: 疫学、衛生学


19世紀: 病院と併せて実験室・研究所の設立 + 基礎医学と臨床医学の対立

● 基礎医学: フランソワ・マジャンディークロード・ベルナール+ドイツの生理学

 医学を科学的に実験室で解析する方向性

● 臨床医学: ルネ・ラエンネック、解剖学者グザヴィエ・ビシャ

 科学性に重点を置くのではなく、患者の歴史を解明して患者の体を読むことを行った

 患者の体を隅から隅まで調べて、病変を場所を特定し、空間の中で特徴付けたのである

 この臨床家の流れがサインを読む記号学派に繋がった

 この流れは、道具や解析方法に興味を持ち、客観化の道を目指す技術者の流れと激しく対立

 後者は、患者の言うこと、患者の精神状態や生きてきた歴史などを無視し、生検や放射線診断などに頼る


▣ どちらが病気を正しく理解するのだろうか

2つの見方の対立は、病気と病人の乖離を意味しているのかもしれない

つまり、客観性を重視し過ぎると患者が見えなくなる

科学が進めが進むほど病気が前面に出て、病人が置き去りにされる可能性がある

これは現代においても、いまそこにある問題と言えるだろう


――2021.12.3 (ve)――


2008.3.16 (di) @Landowski

● Roger Dachez, Histoire de la médecine: De l'Antiquité au XXe siècle (Tallandier, 2004)

 « Je le pansay, Dieu le guarist »(「我包帯す、神、癒し賜う」)-----Ambroise Paré


――この本に目を通しながら巡った考え――

この地上に現れた人類が考えることを覚えた時、死を考え、それと闘うことになった

医学の歴史は、人類の、生命の歴史でもある

それは運命の拒否の歴史でもある

自らを、家族を守るために空を見て神々に祈ることもあっただろう

発熱があり、痛みを経験すると、それを和らげる方法を探そうとした

それが医学の始まりで、悪いものを拒否することであった

皮肉なことに、人類と共にその歴史を刻んできた戦争も医学の発展に大きな寄与をした

医学はそれぞれの時代が自らの夢や希望を託すところのものである

今の時代、我々は何を望んでいるのであろうか

後世、それが分かるようになるのであろうか

医療に限らず、考えたい時である

もし医学が科学であると同時に技術であり、芸術であるならば、当然のことだが、哲学と深い関係を持ってくるだろう

さらに、宗教や道徳、倫理も絡んでくる

人間の一生が芸術作品になり得るように、医学も我々の文化が作り上げた一つの作品になるのではないだろうか

医学に対して、哲学者、文学者、宗教家、社会学者などが発言しない状況は、我々すべてにとって望ましいものではないだろう

全ての活動にあらゆる分野の人が発言できる環境、真に開かれた自由闊達な意見交換が行われる場が求められるだろう


マスター1年目のメモワールとして病気について考えてみる

医学の歴史と現状から見える問題

歴史的視点から見た病気

研究と臨床の関係

このような見方を確立することにより、患者・医者関係、医療システム、社会から見た患者、人生における病気などに対して影響が出るのではないか

21世紀の医療をどう考えるのか

その哲学的基盤は?

病気はなくならない

それは我々の存在にとって必須だからなのか

病気を経験することにより、我々はより深い認識に達することができるからなのか

そう考えると、病気のない世界が天国だとは言えなくなる


このような問題に囲まれている状態は、これまでに感じたことのない充足感の中にいると言えそうである

その始まりは、自らの終わり(死)を明確に意識した時ではなかったか

そのあたりから、病気というものの存在について興味が湧いてきたようだ

このような視点は現役時代には――現場から少し離れてはいたものの――生まれなかった


――2021.12.2 (je)――


2008.3.16 (di) @Landowski

Luise L. Lambrichs, La vérité médicale : Claude Bernard, Louis Pasteur, Sigmund Freud (Pluriel, 2013)

最初に出版されたのは、1993年。序をミルコ・グルメク(1924-2000)博士が書いている。

医学は科学ではない。科学と技術と手仕事などが複雑に交じり合ったものである。20世紀になり、分子生物学が進むと同時に社会の変容も伴い、我々の医学における断絶が益々明瞭になってきた。この本では、クロード・ベルナールルイ・パスツールジークムント・フロイトを取り上げ、それぞれが扱った人体、微生物を含む外界、魂の領域について論じている。現代医学における問題は純科学的側面ではなく、社会的、心理的レベルにある。著者は、「現代の医者が過去そうであったようなヒューマニストではなく、稀な例外を除いて技術者になっている」と書いている。17世紀の終わり、マルブランシュも『真理の探究』の中で「医者は必要だが、相談するのは危険である」と書いているという。


――2021.12.1 (me)――


2008.3.16 (di) @Landowski

● Pierre Debray-Ritzen, Claude Bernard ou un nouvel état de l'humaine raison (Albin Michel, 1992) 

ピエール・ドゥブレイ・リッツェン(1922-1993)という人は芸術と文学を愛する精神科の医者であると同時に作家でもあった。調べると多くの作品を残している。

この本はクロード・ベルナール(1813-1878)をテーマにしている。

● Nicolas Sténon, Discours sur l'Anatomie du cerveau (1669)

著者のニコラウス・ステノ(1638-1686)は解剖学者、地質学者で司祭でもあった。

この本は脳の解剖学についての講義で、その中に次の言葉があった。

「美しいのは我々が見るもので、より美しいのは我々が知っているものである。そして遥かに最も美しいのは窺い知れないままのものである」

● Élie Faure, Les Constructeurs (1921)

著者のエリー・フォーレ(1873-1937)は、フランスの医者でエッセイスト

この本の中に以下の言葉があった

「抒情詩だけが宇宙に新しい考えを導き入れる」

アントン・チェーホフ(1860-1904)

41歳で結婚した女優オルガ・クニッパーへ送った言葉

死の3か月前に当たる1904年4月20日付

「君は人生とは何かとわたしに聞くが、それは人参とは何かと聞くようなものです。人参は人参で、我々はそれ以上のことは知らないのです」

クロード・ベルナール実験医学序説

「わたしがここで表明したい願望は、医学は科学でないのになぜ科学アカデミーに医者を入れることを提案したのかと問われたラプラス(1749-1827)の考えに合致するものでしょう。彼は『それは医者を科学者と一緒にいる状態にするためです』と答えたのです」

医者は科学者であらねばならないとラプラスと共に考えたということだろうか


――2021.11.30 (ma)――


2008.3.16 (di) @Landowski

Jean-Pierre Poirier, Ambroise Paré: Un urgentiste au XVIe siècle (Pygmalion, 2005) 

16世紀の救急医アンブロワーズ・パレ(1510-1590)の伝記の冒頭を読む

2010年はパレ生誕500年に当たる

"un esprit brillant et original" (才気煥発で独創的な精神)という言葉が目につく

さらに、「能力、好奇心の豊かさ、独立心、寛容、コミュニケーション力、そしてそのヒューマニズムが素晴らしい人間」という記述も見られる

その背後には、"beau XVIe siècle"(素晴らしき16世紀)と言われる時代があったのだろう

 * ルネサンス

 * 芸術、文学、科学などと共に新しい哲学的態度が生まれた

 * 人間やその尊厳、教育、理性、能力の開花に与えられた配慮 

それはスコラの融通の利かない論理と神との間の決定論的な関係の両方から解放された個人の自由に場所を与えるヒューマニズム(人文主義)であった

パレは天才的なオートディダクトであった――「自学者」はわたしの理想でもあるのだが――

彼は科学革命のあらゆる側面と関わり合った

1人の女王(カトリーヌ・ド・メディシス)と4人の王(カトリーヌの夫アンリ2世、その3人の子フランソワ2世シャルル9世アンリ3世)の侍医として仕えた


同時代には、解剖学のアンドレアス・ヴェサリウス(1514-1564)、錬金術師で医師のパラケルスス(1493-1541)らがいた

パレは医者(今の内科、外科)であると同時に、薬剤師であり料理人であった

彼は科学論文にフランス語を最初に用いた人と言われる

ラブレー(1483?-1553)、モンテーニュ(1533-1592)とも接触、ロンサール(1524-1585)は友人であった


1542年6月30日(32歳):Jehanne Masselinと最初の結婚

 1545年(パレ35歳)に長男フランソワ、1559年(39歳)で次男イザーク、1560年(40歳)で長女カトリーヌをもうける

 しかし、1573年(63歳)に妻が亡くなる

翌1574年(64歳)で20歳の Jacqueline Rousselet と再婚。年が離れた夫婦であったが、幸福な結婚生活で、6人の子供に恵まれている。1575年(65歳)にアン、1576年(66歳)にアンブロワーズ、1578年(68歳)にマリー、1579年(69歳)にジャクリーヌ、1581年(71歳)にカトリーヌ、さらに1583年(73歳)にはアンブロワーズ2世が生まれる。素晴らしい創造性である。

道徳的美点を学ぶことにより精神と意志の強さを養い、学者(科学者)は賢者になったと著者は書いている

さらに、「賢者だけが真の人間で、賢者だけが真に自由で、賢者だけが世界の良心である」との言葉がある


――2021.11.29 (lu)――


2008.3.16 (di) @Au café

François Dagognet, Pour une philosophie de la maladie (1996) を読む

著者フランソワ・ダゴニェは1924年、ラングル(Langres)に生まれる

学校に行かず、15歳から通い始める

1947年、ジョルジュ・カンギレムを聴くためにソルボンヌをやめて、ストラスブールへ

この本は、カンギレムが亡くなった翌年に出版されている

1950年代の10年間は医者として働く

ロジェ・ギルマン(1977年ノーベル賞受賞)を輩出したディジョンの大学で病理学を学ぶ

ここで、患者を聴くこと、病気を履歴、人生行路と併せて全的に理解することを仕事にしている医者の存在を知る

これこそ、ルネ・ラエンネックからルネ・ルリィシュに至るフランスの臨床医学の伝統

フランス革命に起源を持ち、臨床家で人道家、個人を見る医療を行った哲学者にして医者の伝統である

その哲学は社会主義的で人間だけを観る

この考えは歴史の中でも稀だという

医者になる前から哲学者であったダゴニェは、具体的な思索者であった

大学の研究が本に埋もれ、現実から切り離されているのとは大違いである

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この本の冒頭を読んだ記録がブログに残っていたので、以下に貼り付けておきたい

フランソワ・ダゴニェさんを聴く (1)(2)(3)(4)(5)(6)

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Henri Pequignot, Médecine et monde moderne (1953)

この中で著者のペキニョは、単に医者と患者の関係だけではなく、社会保障を加えて論じている

これは医療政策によって医者の役割、患者の立場が大きく変わることを指摘したものである

ダゴニェは「こと」の源へと辿っていくのが好きだというが、それはわたしも同様である

フランスではドゴールがフランス解放の際に社会保障を導入しているが、それは当時の政治状況から生まれている

市民一人ひとりが病気との関係を社会化すること、そのように認識することを可能にするためにレジスタンスから出てきた要求に従ったものだという

1世紀前は医者は聖職者の役割を担っていた


――日本の医療は荒廃していると言われるが、どの程度のものなのだろうか。もしその通りだとすれば、そのもとには医療政策がある。その政策の背景にはどのような哲学があるのか。調べてみる価値はありそうだ。――

▣ その後、この問題について調べた記憶はない


――2021.11.28 (di)――


2008.3.8 (sa)

Concepts of Health and Disease : Interdisciplinary Perspectives(1981)

この中の心臓外科医デントン・クーリー博士による序を読んでいる

以下にその時のメモを

● はクーリー博士の考え、――・・――部分は当時のわたしの考えを示し、▣ は現時点でのコメントである


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● 医療の目的は何なのか

● 生と死を分けるものは何なのか

● 健康と病気の基本的な違いは何なのか

● 多くの人の思考は、無知と神話と不信に動機付けされているが、それを取り除くことはできるのか

● 医学を取り巻く様々な問題の解決は、哲学的熟慮から得られた経験と知識からしか得られないであろう

――もしそうだとすれば、思索のための時間と何ものにも囚われない自由が必要になる――

● 生命の中心は脳であり、そこに心、魂、精神もある

――彼はそう考えているようだが、本当にそうだろうか。まだ分からない――

● 医学に関わる人は専門以外の領域に触れていなければならない

● 歴史、哲学、倫理の知識を持った人が、病気の定義、人体材料の実験、インフォームド・コンセント、安楽死などについて、より良い判断ができる

● 将来の医者は社会の要請に応えるべく、過去の医者よりもより良く備えなければならない。そのためには、単なる科学の徒としてあるのではなく、知恵と経験を併せ持つ知者、賢者、哲学者でなければならない

――これはヒポクラテス、ガレノスの時代から言われていることだが、しばしば忘れがちになることである――

● 病気になるということは損失である。生理的、心理的に最低限の要求水準を満たしていないという意味で、失敗、敗北として見る。痛みからも自由ではなく、身体的美しさの水準も満たさない。

――この考え方で本当に良いのか。病気をどう捉えるのかということは、表層的、情緒的に考えるのではなく、人文科学的考察も必要になるのではないか――

▣ この疑問はどこかに残っていたようで、その後出会ったカンギレムのより柔軟で人間の持つ創造性を信頼した見方に近い考えを持つようになっている


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多くの本を読むのがよいのか、読む本は少なくてもそれを元に深く思索するのがよいのか、という書き込みがあった

将来どんなことに興味が湧いているのか分からないので広く読もうとしていたようだが、研究をする場合にそれでよいのかという疑問が湧いたのだろう

今振り返れば、研究という方向には余り集中することなく、アマチュアとしてその時に反応したものを手にしていたようである

今はそれで良かったと思っている

これから先、どんな方向にも向かうことができそうだと感じているからである

どうも研究者というよりはアマチュアで居続けたいようである


——2021.11.26 (ve)——


2008.3.4 (me)

フランスに渡って半年

この頃は、医学、病気について考えたいと思っていたようである

最初のメモは、病気と健康に関連する本についてであった


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Concepts of Health and Disease : Interdisciplinary Perspectives(1981)

病気とは何か―医学序説(川喜田愛郎、1970)

病気とはなにか―シンポジウム「人間と病気」より(1976)

心の病気とは何か(保崎秀夫、1975)

Health(Mildred Blaxter, 2004) ―― 健康とは何か.新しい健康観を求めて(2008)


——2021.11.26 (ve)——





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