科学




















2008.7.12 (sa)

「宇宙が我々の主題になる時、注目を集めるトピックスのメンバーは怯ませるようなものである。神、因果、空間、時間、本質、存在、無限、説明、心――これらすべては実質的に形而上学が興味を持つ概念である」


▣ これは英語の書き写しで、誰のものか分からない。しかし、これは誰でも了解することではないだろうか。


――2022.2.5 (sa)―― 



2008.7.6 (di)

リチャード・ドーキンスに「ミーム」という概念がある。
ミームという言葉は、1976年に『利己的な遺伝子』という本の中で作ったもの。ドーキンスはギリシャ語の語根 から mimeme という語を作った。mim は「模倣」を意味し、-eme は「…素」を意味する名詞を作る接尾辞である。彼は、この語を遺伝子(gene)のような一音節の単語にしたかったので、縮めて meme「ミーム」 とした。ドーキンスは meme について、memory「記憶」やフランス語の même 「同じ」と結びつけて考えることもできるだろうと述べている。ミームは脳から脳へと伝わる文化の単位としており、例としてメロディやキャッチフレーズ、服の流行、橋の作り方などをあげている。(ウィキ)
同様の考えは、1904年ドイツの動物学者リヒャルト・ゼーモン(Richard Semon, 1859-1918)により「ムネーメ」(mneme)として発表されている。これは外界から内部に入った経験の記憶は「エングラム」として生体に刻まれ、ラマルクを想起させるように、エングラムは次世代に伝達されるという。この説は科学的根拠が疑わしく、忘れ去れることになった。


――2022.2.2 (me)―― 




2008.6.21 (sa)

科学は生の参加を奏でるかのように、前だけを向いて進むように見える。後ろ(歴史)には基本的に興味を持たない。それが哲学や歴史とは違うところだろう。

それは我々が永久に生きるという錯覚の中でのことではないのか。すべての生物は死を迎えるのである。想像力を働かせて、そのことを身に沁みて分かると、この生の捉え方が変わってくるのではないだろうか。本当に理解しているかどうかである。


――2022.1.11 (ma)―― 



2008.6.15 (di)

これから研究する上で、歴史的視点を持たなければ意味がない。


Elliott Sober の『生物学の哲学』に、ドブジャンスキーの「進化の視点なしには生物学は意味を成さない」という言葉を広く解釈すると、「無歴史的(ahistorical)なものは意味がない」となるだろうという記述があったが、それと通じている。



2008.6.14 (sa)

進化論:一つの特徴は "open-ended" であること、目的地はないことである。

ある目的に向かうのではなく、偶然を重ねる歩みの中で、その時に最適の判断をして(選択過程)どこかに進む。

生物は目的地を目指すのではなく、「いま・ここ」を只管歩いていればよいのである。

これは生物に活力を与えているのではないだろうか。

そして今はどこか分からないところに辿り着いた時、一体どんな景色が見えているのだろうか。

---------------------------------------

人間の生は不可逆である。

元に戻ることなどないのである。

病気も人生の一部で、その後に「元」に戻ることはできない。

後の状態を自分にとって良いものにするのは、本人しかない。

それがカンギレムの哲学であったが、そのように創造的に人生に立ち向かうべきだという考えには同意したい。

ここでも問題は精神なのである。



――2022.1.8 (sa)――



2008.5.29 (je)

文化としての科学について

  技術者として国策に乗るような動きしかできない科学者: 見方の貧しさ、底の浅さ 
  科学を外から見ているグループのサロン化:
   発言が科学者にまともに受け取られていないのではないか
  科学者と科学についてメタから考えている人との議論が必要
  日本と西欧では科学の歴史が違い過ぎる(100年対数千年)
   日本の場合には技術的な側面の吸収に絞って進められ、精神面は蔑ろにされた
   科学精神について学ばなければならない
   (ネットに戸坂潤が出てきた。科学・哲学・宗教との関連で三浦梅園も)   
  基本的なこととして、深く考える生活をする必要があるのだろう

最後に、壮大な文明、文化、歴史論にまで行き着くか

  文明とは普遍的でハード面を指す(科学)
  文化とは地域性、民族性を持つソフト面を指す
  

――2021.12.24 (ve)――



2008.4.12 (sa)

Charles Darwin

"I sometimes think that general and popular Treatises are almost as important for the progress of science as original work."

(in a 1865 letter to Thomas Henry Huxley) 


▣ 一般向けの論文(本)も原著論文と同じくらい科学の発展にとって重要であるというダーウィンの指摘だが、現代ではリチャード・ドーキンスが同様の考えを表明している。そのような仕事をしたいものだが、まだ先になりそうである。


――2021.12.24 (ve)――




2008.4.6 (di)


章のタイトルを読み、自分の中にあるものと共通点が多いので驚く

わたしがフランスに渡ることを伝えた時、友人の一人がイェルネの姿と重なるという想像もしていなかったコメントが届き、驚いたことがある

そのことを思い出した

例えば、次のようなものがある

I have never in my life felt I belonged in the place where I lived.

I wanted to study something that couldn't be used.

When I look at other scientists...none of them have wasted as many years as I have.

To be able to let nature reflect in the depths of my own soul.

The happiness of feeling superior to a lot of people.

Antibody this, antibody that, they weren't really much interested.

Immunology is for me becoming a mostly philosophical subject.

What struggle to escape.(これはどういう意味か)


――2021.12.9 (je)――






0 件のコメント:

コメントを投稿