倫理





















2008.3.24 (lu), 3.27 (je)

フィリップ・キッチャー氏の話の中から、倫理に関するところをまとめる



彼はジョン・デューイの名を冠したコロンビア大学の教授職にある。デューイの言葉に同意し、倫理の問題は一生考え続けなければならない、終わりがないものとして捉えている。まさに生きることは哲学すること、問いを発し続けることという考え方だが、その精神はわたしのものとも重なる。

倫理を取り巻く哲学的問題は歴史の光の下で理解される、との言葉があり、5万年前からの歴史を辿ってくる。最初は face-to-face のコミュニケーションが可能な30人くらいのグループで生活するようになり、そこで生物学的な利他主義 (自らの繁殖を犠牲にして他の人の繁殖の利益になるように振舞う) の傾向が現れたのではないかと考える。それから心理的な利他主義 (例えば、机の上にケーキがのっていてそこには誰もいない場合には一人ですべて食べてしまうが、他の人がいればすべてを食べることは差し控え、他の人もご相伴に預かれるようにする)も原始の社会を維持するために必要だったと考えている。

2万年から8千年前になると、社会は1000人単位になり、そのための道具の運搬が行われ、ネットワークが出来上がっていたのではないか。そこでは、倫理が交通手段などのテクノロジーや共同作業、さらには豊かな人生を味わうという新たな人間的価値を生み出す動力になり、5千年ほど前にはそれまで排除されていた異邦人、奴隷、女性などもグループのメンバーとして迎えられ、新しい人間の生活パターンが生れたと想像している。

倫理は人間の基本的なところに由来するもので、利他主義の精神はすでにそこにあり、人間社会の破綻の危機に対応するために生かされてきたのではないかと考えている。倫理にまつわる問題は、ある原理のようなものに基づいて、例えば、人はこうすべきではないとかこうあるべきだというように大上段に構えるのではなく、歴史をじっくり観察しながら考えを深めていく対象ではないかという考えの持ち主と見受けた。それをやり続ける執拗だが柔軟な姿勢が求められる。


――2021.12.6 (lu)――







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